数か月前ですが、校歌の歌詞を作られた松谷さんの息子さんとコンタクトが取れました。息子さんには、お母様から校歌ができた経緯などを聞いてくださるようお願いし、このほど、メールが届きました。以下、メールの内容を抜粋しながら、校歌ができるまでの経緯を紹介いたします。
「緊急事態宣言明け(10月1日~)に、母に話を聞きに行った後、母が体調を崩しまして、残念ながら、去る11/4に他界致しました。その前に話を聞けたことはよかったと思います。ただ母も91歳だったので、記憶にあいまいな点もありますがそこはご容赦ください。」
とあり、詳しい経緯を聞くラストチャンスだった事がわかりました。
「校歌制定時の件ですが、やはり保護者、生徒も含んでの公募で歌詞を募ったとの事です。歌詞は、父の名前で出したようですが、実際は母が作詞したものです。
母が作った歌詞については、応募の時は1番と現在の3番を2番とした2番までの構成で出したそうですが、選定された後に、校歌は3番まで必要とのよくわからないルールにより、後日、間に2番を追加したそうです。2番の歌詞は、後で追加した苦肉の歌詞なので逆に校歌のような歌詞ではないのかもしれません。
曲については、当時日系学校の団体がありまして(今もあるかどうかわかりませんが数校の団体でした)その保護者会の方にお願いしたそうです。 」
「母は、校歌が今も歌われていることに大変喜んでおり、過ぎし日のリマの思い出に浸れたのではないか」と結んでいました。
校歌の歌詞を作られた方から直接お聞きした、とても貴重な内容です。
お話を聞いていただいた息子さんに感謝いたしますとともに、11月4日に他界なされたお母様のご冥福をお祈り申し上げます。
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