斎藤敬郎先生は、1969年4月、日本の外務省から、「リマ日本語補習会」の初代校長として派遣されました。(「リマ日本語補習会」は、現在の「リマ日本人学校」の旧名です。)
しかしながら、斎藤先生は、派遣された翌年8月20日、急逝なされました。
本校の沿革史を読んだ時、初代であり、かつ現職で亡くなられた方なので、強く印象に残っていました。
斎藤先生の事は、開校10周年記念誌アンデスと、開校20周年記念誌アンデスに紹介されていました。
開校20周年記念誌に載っていた文章を紹介いたします。
数週間前のこと、私の娘から「友達のお母さんが子どもの頃、斎藤敬郎先生という方が担任だった事、斎藤先生が、ペルーに行ったという話をしていた」との事でした。娘から「斎藤敬郎」先生を知っているかと問われた私は、間もなく初代の斎藤校長先生だということに気づきました。
その後、友人のお母さんが小学生の頃、卒業の時に斎藤先生から書いてもらったものがあるということで、その写真を娘の所に送って来ました。
斎藤先生の教え子である「千恵子」さんから、先生について教えていただきました。
(以下です)
①先生の印象・先生の性格は・・・
にこやかで愛情のある先生、穏やかな性格。
②先生との思い出は・・・
教室の足踏みオルガンで皆で良く童謡などを歌った。音楽発表会、仮装行列などもやってくれた記憶もあります。今おもえば修学旅行に母親達も参加してたけど先生達のはからいだったのかも知れない。女性(母親)が旅行をするのが少なかった時代なので。
③6年生の時の先生の年齢は・・・
だいたい40後半、50代位に見えてました。
④ペルーに行った時やペルーで先生が亡くなった事を知った時の気持ちなど、
ペルーに行く時に兄(布団屋)がウールの着物と羽織などを注文を受けて届けた話を覚えてました。他、町内、近所をあげての壮行会があったらしい。
急逝にとても驚いた。同級生皆でお葬式(仙台市上田子の先生の実家)に行った記憶がある、高3位。
⑤その他 何でも
クラスの雰囲気かとてもよく。校庭で大きい輪をかいて、「いっしゅう」という遊びをクラス全員でしたのをよく覚えてます。
高砂小学校は、仙台市にある小学校です。私の家も仙台にあり、高砂小がどこにあるかもわかります。初代校長が私と同じ宮城から来たことがわかりました。50年の時を経て、同じ宮城派遣という事がわかり、奇遇だと思っています。
しかも、更に、奇遇は続きます。斎藤先生の代わりに来られたのは、2代目校長石森元郎先
生です、当初から、このお名前は、聞き覚えのある名前だなと思っていましたが、私が知っている方でした。話をしたこともある方でした。初代校長、2代校長も宮城でした。
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